中村タイル商会創立100周年記念誌_150313
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50呂場等に大量のタイルが使われるタイプの西洋風建築物だった。そうした基地建設、住居建設のために、わが国の進駐軍の世話をしていた国の調達庁を通してタイル工事の注文が次々と舞い込んできたのだ。焼け跡再生タイルももちろん使われたが、そんな程度でまかなえる量ではない。中京地区に多かったメーカーの再稼働を督励し、製品を集めるだけ集めて供していったのだが、当時、福岡にはタイル販売業者は、当社の他に一社あるだけで、競合するどころではなく、二社ともフル稼働で注文を何とかこなしているという状況だった。ここもエピソードが伝わっていて、ライバル社の社長がふらりと事務所に現れて、挨拶もそこそこに、製品の回転状況が一目でばれる倉庫に平気で入っていく光景を、後に三代目社長になる中村博幸氏は何度も見たという。正次郎はそれを別に止め立てもしなかった。お互い、どのような状況かが分かり過ぎるほど分かっていて、秘密にする必要もなかったのだろう。こんな状況を見ていると、タイルは日本ではまだ物珍しい存在だったが、外国の建屋には必需品だったことがよく分かる。それらがやがて日本の戦後復興ととも

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