中村タイル商会創立100周年記念誌_150313
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22大八車と旧家然とした商家に混じって結構近代的な建物が見えるから、明治末期から大正時代にかけて先進的に変貌していった地区でもあったと言えそうだ。我が社の関連で言うと、洋風建築物の市役所や県庁に続き、明治末には県会議事堂も建設され、民間でもオフィスビルに続いて個人の住宅にまで建築の洋風化が及びだしている。我が社は、左官業を生業としていた中村家の次男坊が分家して、関連商売としてタイル販売に目をつけて創業したと言われているが、おそらくはこうした街の変貌に刺激されての開業だろう。詳しくは後述する。 このように、大発展を続ける明治、大正、昭和初期の博多の町だが、その香り高き栄華は一瞬にして消滅した。第二次世界大戦末期の福岡大空襲で灰燼に帰したの下祇園町で商売繁盛のニ〇加せんぺいでおなじみの東雲堂

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