㈱カンサイ 60年のあゆみ
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90history of sixty years KANSAIhistory of sixty years KANSAI株式会社カンサイ 60年のあゆみ司会 最後に、今までのお話は過去と現在の関西電業、カンサイのお話をしていただきましたが、今後のカンサイの展望と提言というか、これからこうなってほしいというようなお話しをお願いします。では、小野様から、今後のカンサイにこうあってほしいとかございますか。小野 いや、もう、僕らの世代の感覚は古いだろうし、もう社長の思う存分おやりなさいとしか言えません。しいて言えば、会社をつぶさんようにやってもらったらいいんです。先代にたたき込まれて、朝の6時から荷台にスイカを積んで売り歩てきた年代と今は違うでしょう。携帯電話の一つもあるわけではないしね。そういう、時代背景が違うから。自慢じゃないけど、カンサイでパソコンせんのも、おれ1人やからね。もう、最初から触らないと断言していた。井上 72才までいたんでしょう。72才まで仕事していたら、家の1軒くらい建ってるやろう。僕は60才で、いろいろなことに病気も重なり辞めたけど、今はこれだけの会社になって感無量です。願いはもう会社の存続だけです。頑張ってほしい。忍田(進) 私が社長をしてきた三葉電機は、カンサイグループでは、昭和33年創業の一番最初のグループ会社です。楢蔵さんのあと、私が社長をやってきました。今、カンサイグループはそれなりにやってはいるけれど、いずれ7つか8つに別れるんでしょう。そのために、グループの総帥たる社長が今後に対してどういう舵取りをするのか、多角的な分社化を考慮されているように聞いています。そうなると、当然、各部署に社長を置いて、費用をしっかりと管理していく事が大切になります。また、社員の上に立って、指導していかなければならない立場もあるわけで、どうか落ちこぼれのないようにお願いしたい。例えば、三葉電機では私が病気したせいもあって、少し早いかとも思ったが私の息子を社長にしました。しっかり指導してほしい。うち未来に向かって

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