㈱カンサイ 60年のあゆみ
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87history of sixty years KANSAIカンサイの創生と発展それは背広なし地下足袋営業から始まったまではどうしようもない。このままいくなら、これ以上大きくしたらだめだ、身の程知らずになるから。俺が、俺がの集まりを入れておいて、まあ、50億円か60〜70億円くらいの売り上げを考えて、個人の力を頼っていけばいいという組織にしておくならそれでも構わないけど。しかし、私はやっぱり、やる以上は、組織として成り立たせていきたいからね。とにかくワンマン・キカンシャはいらない。社長の言うことさえ聞いときゃいいという社員は、もうノーだという発想が必要だと思った。私もワンマンな部分があるけれども、初代に比べると、その思考方法・やり方はちょっと違うと思っている。つまり、できるだけ今の組織の中での分野・分野に責任を持たせていこうと思っている。そうじゃないと、会社は大きくなれない。1人がやれる範囲は限られているから。私がいくら優秀であろうと、岩宗副社長がいくら有能であろうと、やれる範囲には限度があるんです。それで収まる範囲の会社規模でよければ、2人でやっておけばいい話であってね。それでは発展性がないでしょう。岩宗 言われるとおりです。組織を本当に作ったのはやっぱり社長ですよ。38才の時に本社に返されて、おまえら2人でやれっと言われたときに、これは組織を作らんとできんなぁと思ったね。そして、営業部をきちっと固める。そして、管理部を固める。要するに、ざるの目をつぶそうというのが一つの目標だった。そのために、厳しいことも言いあえる組織を作ろうと。営業は営業でいかに売上をあげていくかを議論できるような組織です。だから、あの頃は必死でした。社長 本当にざるのようにお宝がこぼれていたものね。悔しくて、悔しくてしょうがなかった。岩宗 それこそ工事屋さんの業界はいいかげんな世界で、社長も時々本当に腹が立つと言っていたのを今でも覚えている。でも、その工事屋さんがお客さんだから、仕方がない

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