㈱カンサイ 60年のあゆみ
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75history of sixty years KANSAIカンサイの創生と発展それは背広なし地下足袋営業から始まったじゃ商売にならんと土地を探し、今の所に移転しました。しかし、我々の業界での立場が立場だから、小さな社屋建設でも、ゼネコンさんや電気工事屋さんは、あっちを立てればこっちが立たずになるので、筋道を立てるのに非常に気を使いましたね。結果的に、清水建設が建てるんだけど、大林組ともつながりがあったし、やはりいろいろ筋道を立てない訳にはいかない。そういう業界でしてね、ややこしいんですよ。司会 その本社移転の時のことで、何か記憶はございますか。岩宗 苦労しましたよ、あの時は。たまたま建設基準というか、非常ベルを外に付けるか付けないかで予算がものすごく違うんです。それで、今の3階というのは、あれは本当は会議室ではなく倉庫だったんです。もしあれを会議室にしたら、外階段を付けないといけないという。設計事務所の知恵で、じゃあ、倉庫にしましょうという話になった。そして、今度は、消火栓設備を付けないといけない。で、それもやめるようにしましょうという話になったんだけれど、結果的には何かに抵触して、後で付けました。あの時私は、病気したんじゃないかな。コンピュータの入替えも一緒になって、それはもう戦争でした。あのころが、会社は苦しい経営を脱し、ようやく軌道に乗り始めた時期でした。司会 上り坂に入ってきたのは昭和59年(1984)頃からですね。岩宗 そう、そう。あのころからです。うちが、ちょっと元気が出てきたのは。社長 そうね。昭和59年で売り上げが45億円だった。司会 昭和63年(1988)、本社を移転したあとに現・忍田社長が専務取締役になられていますね。社長 ああ、そうですね。司会 それから、ずっと発展し続け、平成5年には忍田社長が副社長、その2年後の平成7年に忍田社長が2代目の社長に就任。忍田楢蔵先代は会長に就任ということです。この時に、忍田会長とそろそろ社長交代だとい忍田 勉社長昭和49年入社平成7年、2代目社長伸び始めた売上げと組織固め

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