㈱カンサイ 60年のあゆみ
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71history of sixty years KANSAIカンサイの創生と発展それは背広なし地下足袋営業から始まったして昭和33年に、勤めていた船場の会社の社長とけんかしてしまい、会社を辞めたんですよ。その時は、どこに行くという当てがあって辞めた訳ではありませんので困ってしまい、忍田楢蔵さんに相談すると、叔父と甥の関係でもあり、かつ、九州出張員ということで地理にも明るかったので、「それなら、おまえ、来いへんか」と声をかけてもらったんです。「来いへんか」というのは、今言いましたように、三葉電機工業という会社を1年前に設立して社長をしておられましたが、関西電業の方が大変いそがしかったため、「おまえが、メーカーの仕事をやれ」と言って採用してくれたわけです。入った時は7人くらいしかいなかった。昭和34年の入社というのはこういうことです。そして、昭和46年頃には三葉電機工業の取締役・営業部長になっていまして、その当時はもう40〜50人の会社になっていたと思いますけど、同時に、「関西の取締役にもなれ」という話がありまして、メーカーと商社の違いはありますが、お互いに協力してやろうということで関西の社外取締役にもなりました。こんな経緯で社外役員になり、月1回の取締役会だけは出て来るようにという条件でした。やっている仕事は、三葉電機ではメーカーの営業、カンサイは商社ですから、中身がちょっと違うんですけど、電気業界には違いありませんので、いろいろと情報交換をやっていました。忘れられない思い出です。司会 三葉電機工業に入社される少し前の昭和29年に関西電業株式会社が設立されておりますが、その時のお話なんかで覚えておられることはありますか。忍田(進) 古いことを言うと、前身の関西電業の仕入部門が大阪にありまして、私の父親が大阪営業所の所長という肩書をもって担当していました。あの当時は大阪から小さ創業と先代社長の気迫

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