㈱カンサイ 60年のあゆみ
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17history of sixty years KANSAI黎1954~1965Early days明期倒産は寝耳に水で事情を全く知らない彼は途方に暮れたが、債権者の中に楢蔵の器量と誠実さを認める者がいて、倒産した会社の再興を要請される羽目になった。勤めていた会社が倒産すれば、そこで、その会社との縁が切れてしまうのが普通であるが、楢蔵にとっては、関西電業設立の機縁となったわけである。奇縁といっていいかもしれない。忍田楢蔵は株式会社関西電業社の社名を関西電業株式会社と変更し、初代代表取締役社長に就任、ここに関西電業株式会社の設立がなされたのである。登記簿謄本には、設立登記日は1954年(昭和29)3月9日、資本金400万円、本社所在地は福岡市大字春吉252番地、業務は、1、電線及電気機器の販売 2、前号に付帯関連する一切の業務と記されている。また、取締役として、忍田楢蔵の他に、井上信雄、和田定夫、田中正治、監査役として、金丸栄一の名がある。本社を大阪ではなく、福岡市に置いたのは、九州出張所長時代に築いた地盤と人縁を大切にし、それらの上に新会社の業績を積み重ね、発展を期したからに他ならない。ちなみに、株式会社カンサイの現社長忍田勉はこの時、6才であった。もともと潤沢な資金があって起業したわけではない。それどころか、倒産した会社の負債まで引き受けていたのだから、赤字経営での出発であった。従って、当初は委託在庫方式での経営形態を余儀なくされた。これは仕入れたものを期末に棚卸して、売り上げた分だけメーカーに支払うという方式である。棚卸には、大阪からメーカーがきて立ち合ったが、チェックは厳しかったという。設立は福岡市で関西電業株式会社創立の時の登記事項春吉社屋前にて楢蔵会長と勉社長(1954年〔昭和29〕)春吉社屋倉庫(1954年〔昭和29年〕)

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