「福岡東ロータリークラブ40年のあゆみ」
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912005(平成17)年の11月3日、私はゴルフが終わって帰路についていた。携帯のベルが鳴った。安恒忠男会員からだ。今から私の家に来ると言う。それには及ばぬ。この車で君の家に寄るよと返事。着いて話を聞くと正岡民次副会長が奥様の看病に専念したいという理由で辞任されたという。その時の田中進幹事(ホテル日航常務)がいろんな方に後任をお願いしたが断られて困っていらっしゃるそうだ。ついては私にお願いしたいということだった。私が引き受ければ次年度は森光繁喜会員がお引き受けになるということである。会長という重責をまっとうする資格もない。準備期間もあと半年しかない。しかし、即受けようと決意した。理由は三つ。一つは田中幹事が私の好きな尊敬するロータリアンの一人であること。彼が親睦活動委員長の時代から、クラブのために一生懸命に働く彼の姿をいつも側で見ていて感心していた。私の女房、娘、孫たち全員が彼のファンだった。もう一つは数年前に吉田保徳会員(故人)が会長に指名された時、私に幹事をやってくれという依頼があったこと。当時は私の仕事が忙しく、引き受けてあげたかったけれどそれが出来なかった。申し訳なかったという気持ちをひきずっていた。その時私の代わりに正岡民次会員を推薦して幹事を引き受けてもらった経緯があった。最後の一つは、安恒忠男会員が幼い頃からの無二の親友で私を東クラブに誘ってくれた大恩人であることである。私は家に帰って女房の承諾を得てすぐに安恒会員と田中幹事に引き受ける旨の電話をした。これが私が会長就任を引き受けたいきさつである。その年度、私は国際奉仕委員長の任を負っていたのだが、この任を途中から秋本武夫会員にお願いすることになった。また親睦ゴルフ会長は田中進会員にお願いした。お二方には大変ご迷惑をおかけしたと思っている。私は11月後半からAテーブルに座ることになった。大塚誠之副幹事の横に後添いの嫁のように。彼は私より22歳も若い。ある人から副幹事はあなたが指名し直してもいいのだとの進言もいただいたが年の差など関係なく彼とはうまくやれそうな気がした。だからそのままお願いすることにした。彼にまずお願いしたのは親睦活動委員会の委員長を早急に決めることだった。私は以前から親睦活動委員会の活動はクラブの雰囲気作りにとても大事だと思っていたからだ。しかも数多い委員会の中でこの仕事が一番大変なのである。企画力を要求され、多数の委員の方を采配して統率していかなければならない。もしかしたら会長の任務よりもこちらの方が大変ではないかという気さえしていた。私も入会して5年目頃にその委員長を経験したのでよく分かる。結局この委員長の人事は副幹事が一番苦労したようで、最後まで難航した。内田信行会員がお仕事も繁忙であるにも関わらず引き受けてくださっ2006~2007年度会長 久家 脩歴代会長が語る思い出

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