「福岡東ロータリークラブ40年のあゆみ」
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100主人がロータリークラブに入会させて頂きました1992年、交換留学生のホストファミリーにと、相談がありました。主人も会員になって直ぐですし、英語で会話などできない私に、留学生のお世話ができるのかと不安になりましたが、お客様扱いせず子供達と同じようにすればいいからという主人の一言で承諾致しました。心配な私はまず留学生の子達と約束事を決めました。食事の時間を守る、外出先をはっきり言う、門限を守る、等々。その後、アメリカ、カナダ、オーストラリア、メキシコ等いろんな国の5人の交換留学生を預かったのです。今から思えば一番大変だったのは外食を喜ばない父がいる家族6人と留学生の食事でした。お味噌汁、お浸し、酢の物等、日本独特の食べ物が駄目な子、肉類は一切取らず野菜と魚だけの子等、食文化の違いは少なからずその国のお国柄を見るようでした。アメリカ人のラシェル以外は、留学先の第1希望が日本ではなかったと、残念そうに話してくれました。どうして? こんなにいい国なのに!! 世界中の若者にとって日本という国は夢や、憧れを持つ国ではないのだという事にがっかりしました。青春の1ページとして日本での生活を楽しい思い出として残ればいいと軽く考えていた私でしたが、日本を好きになって帰国してほしいと強く願うようになりました。私達は日帰りのドライブで日本の四季の自然の美しさに接したり、神社仏閣を訪ねたり、桟敷席に交換留学生の想い出馬場 啓子サマンサ(カナダ)相撲観戦ホストファミリーの思い出

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